物事の捉え方

 

同じ問題を目の当たりにしたとしても、人が変われば得られる結果が大きく変わることがあります。
では、なぜその様なことが起こってしまうのでしょうか?

例えば
子どもが学校で先生に怒られて帰ってきました。
あきらかに仏頂面で、イライラしているのが手に取るようにわかります。
「もう学校に行きたくない!」と言い出しました。

この様な時、あなたならどう対処しますか?

1.何を言っているの!何があったのか知らないけど、ちゃんと明日も学校行かないとダメだよ!と言って学校へ行かないことを認めない。

2.どうしたの?何がっあたの?理由を聞かせて!と子どもの言い分を聞き、その上で「学校には行きたくないなら、行かなくてもいいけどよく考えてね!」と見守る。

そしてその結果それぞれの子どもは、どのような行動をとったと思われますでしょうか?

a.自らの意思で学校へは行くと決断し、完全に何も思っていない訳ではないが、なるべくいつも通りの学校生活を送った。

b.渋々学校へは行ったものの、収まることのない感情を抱えたまま、イライラした態度で学校生活を送った。

きっとこのaとb以外にも、また違った結果になったケースもあると思いますが、まずはこのふたつのケースを元にどのような違いの影響を及ぼしたのかを考えてみて下さい。

あなたの捉え方次第

結果だけを見るとどちらも同じ「学校に行った」と言う結果となりました。
でも、大きく違う何かが存在することにはお気付きでしょうか?

a.の結果では「自分の意思で決断」「気持ちの整理」「変わらぬ学校生活」をもたらしました。

一方b.の方はどうでしょうか?
「親に決められた決断」「治らないままの感情」「やる気すら起こらない学校生活」あなたはこの状況をどう捉えますか?

何が言いたいのかと申しますと、大きな違いは「物の捉え方が違った環境」です。

親の対応が違うとおっしゃる方もいらっしゃるかも知れませんが、久遠では親の対応=環境と考えます。
なぜなら、たまたまそこに親が居ただけであって、担任や他の大人が居ても同じような状況を生み出すことは可能だと考えるからです。

その上でどう環境が違ったのかを解説します。
a.は2.の対応がもたらした結果であり、b.は1.がもたらした結果です。

1.で行なった物の捉え方は、当事者の子どもに共感することなく、おとなが考える正解の行動をする様に指示をした!

では、反対に
2.で行なった物の捉え方は、当事者の子どもの感情や心情に寄り添い、本人の判断に任せ見守った!

考えるまでもなく子どもの成長において、どちらの環境が必要なのかは一目瞭然です。
これらの環境を整えるのは、子どもの役割ではありません。子どもの成長に関わる大人が一生懸命に考え、整えていく役割を担っていると思っています。

そういう意味でも、誰もがその時々にあった最適な捉え方ができるようになれれば、素敵だと思いませんか?

 
最終更新日:2023/01/18(水)18:58

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