ちょうどいいってむずかしい・・・

 

いい塩梅とか程々など、ちょうどいい感じを求められることってよくありますよね!
日本の社会における忖度なんかも、その種の行動なのかもしれません。

あなたはちょうどいい感じを求められた時には、どういった対処を取られていますか?

えっわからないの?っておっしゃる方にとっては、これからお話する内容は必要ないのかもしれません。なので、これ以上読み進める必要もないかもしれません。

『ちょうどいい感じ』という基準は、どこからくるのでしょうか?

ここまで!といった明確なルールや基準もないのに、ちょうどいい感じってどうやったらわかるのでしょうか?

自分が若い頃は、自分にとってのこの『ちょうどいい感じ』が、他者とはズレていたのか?そもそも根本的に理解できていなかったのか?はいまだにわかりませんが、求められたことを汲み取ることができなかったために『余計なことをして!』とよく叱られたものでした。

今になってよくよく考えてみれば、その時一緒に時間を過ごしていた方々も、正しく理解していたのかな?って正直思っていて、多くの人が実際には理解していたというよりは、わかっているふりをしていて、拗れることがない様に日々を過ごしていただけではないのかな?って今ではそう思っています。

なぜなら、いい塩梅ということは、ちょうどいい=良くも悪くもないとするならば、良いことが50%であるならば、良くなくことも50%あるということも存在しているはずですよね・・・

でも、実際に求められていることといえば、凄く良いこととそれなりに良いこととの間という印象が強く、いい塩梅というのは、どちらでも良いと言うよりはちょっと良いことでなければならないイメージなのが残念でなりません。

だから、人は必要以上に頑張ってしまい、自分を追い詰め、苦しい方向へと導いてしまっているのかな?と妙な納得に落ち着いてしまいました。

このような意味の通らない間違った慣習は、正しく解釈され治す時が来ればいいのになぁと思っています。

 
最終更新日:2023/08/12(土)23:49

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