ひとそれぞれの本気

 

よく「本気を出せ!」だとか本気で頑張ります!」とか「本気」という言葉をよく使いますが、その本気の基準って何なんでしょうか?

真剣に頑張っていること?
逃げずに向き合っていること?
苦手を克服していること?
やると決めたことを貫き通すこと?

どれも当てはまると思いませんか?
もしも当てはまるのであれば、どれも本気だということになるはずですよね?
でも、自分では本気でやっているのに周りからは「本気でやってない!」なんて言われたことはないでしょうか?

では、なぜ?そのようなことが起こるのでしょうか?

大義のズレ

自分が思うには「それぞれの立場による大義のズレが生じている」からだと思っていて、例えば「仕事」の現場から「本気」の意味を考えるならば「本気で仕事をする」という意味でも、様々な立場から考えるとそれぞれの度合いが存在することがわかります。

上司からみる「本気」は「成果を出す」とか「ミスをしない」とか・・・色々とあるかと思います。
でも、これらの共通点は「上司が思うこと」という点です。

どういうことかと言うと「本気で頑張ります!」と言ったものの、上司に伝わっているのは「上司の価値基準での本気」であると言うこと「本気で頑張ります!」と言った部下の価値基準はどこにいったのでしょうか?

では、部下からみる「本気」はどうでしょうか?
大義が同じであるならば、この場合の本気は「上司が思う成果を出すこと」とか「上司に怒られない様にすること」に当るかと思いますが、はたしてそんなことを思いながら仕事をすると言うのであれば、そもそもそんな大義は必要なのでしょうか?

むしろ本気になれ!と命令するのであれば、本気になるための大義=目的や意思は統一され、明確になっていることが必要です。
そして、もしもその統一された大義が本当に存在するのであれば、お互いがその大義の成熟を目指してそれぞれが持つ特徴を活かした役割を果たせば良いのではないでしょうか?

そうなると現社会に存在する間違った縦の繋がりの価値観は必要なく、それぞれを尊重する横の繋がりの価値観こそが必要である様に思えてなりません。

 
最終更新日:2023/05/28(日)15:41

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